身に覚えのない退任の登記を是正する手順

身に覚えのない退任の登記を是正する手順
「登記事項証明書を取り寄せたところ、自分が半年前に辞任したことになっていました」「辞任届を書いた覚えはありません」「取引先から『退任されたそうですね』と言われて初めて気付きました」。このようなご相談が現実に寄せられます。
本記事では、身に覚えのない退任の登記がされている場合の対応を整理します。当事務所は役員の側にも会社の側にも立ちますが、本記事は地位を争う側の方に向けたものです。
結論 登記の是正と地位の確認を並行して進めます
この類型では、次の2つを並行して進める必要があります。
| 進めるべき事項 | 内容 | 目的 |
|---|---|---|
| 第1 地位の確認 | 取締役の地位が失われていないことを確定させる | 実体上の権利関係の確定 |
| 第2 登記の是正 | 登記の記録を実体に合致させる | 対外的な効力の回復 |
登記は、実体上の権利関係を公示するものです。したがって、地位が失われていないのであれば、登記の記録が誤っていることになります。もっとも、登記が残っている間は、対外的には取締役でないものとして扱われる場面が生じますので、両者を並行して進める必要があります。
登記の効力
登記の一般的な効力
会社法の規定により登記すべき事項は、登記の後でなければ、これをもって善意の第三者に対抗することができないものとされています(会社法第908条第1項)。また、登記の後であっても、第三者が正当な事由によってその登記があることを知らなかったときは、同様とされています(同項後段)。
不実の登記
故意又は過失によって不実の事項を登記した者は、その事項が不実であることをもって善意の第三者に対抗することができないものとされています(会社法第908条第2項)。
この規定は、不実の登記をした者に対して、その不実を主張することを制限するものです。逆に、不実の登記をされた本人が、その不実を主張すること自体は妨げられません。
登記の申請の義務
株式会社において登記した事項に変更が生じたときは、2週間以内に、その変更の登記をしなければならないものとされています(会社法第915条第1項)。
登記が残ることの実害
| 場面 | 生じ得る不利益 |
|---|---|
| 取引先との関係 | 代表権又は権限がないものとして扱われます |
| 金融機関との関係 | 融資の判断、口座の管理に影響します |
| 社内での立場 | 取締役会への出席を拒まれる根拠とされます |
| 報酬の支払 | 支払を止める理由とされます |
| 責任の範囲 | 退任後の事象について責任の有無が争われます |
初動の対応
登記の誤りに気付いた時点で、直ちに行うべき事項は、次のとおりです。
| 番号 | 対応 | 内容 |
|---|---|---|
| 1 | 登記事項証明書の取得 | 履歴事項全部証明書を取得し、退任の年月日及び登記の年月日を確認します |
| 2 | 登記申請書類の閲覧 | 登記所において、登記の申請に添付された書面の閲覧を検討します |
| 3 | 会社への申入れ | 辞任の意思表示をしていない旨を書面により通知します |
| 4 | 証拠の保全 | 辞任届とされる書面の写し、社内の記録、電子メールを確保します |
| 5 | 職務の継続 | 可能な範囲で取締役としての職務を継続し、その記録を残します |
| 6 | 相談 | 早期に弁護士に相談します |
第2の点について、登記の申請書及びその添付書面の閲覧については、商業登記の制度上、利害関係を有する部分に限って認められる場合があります。具体的な手続及び要件については、登記所においてご確認いただくか、弁護士を通じて確認することになります。
第3の点は、極めて重要です。辞任の意思表示をしていないことを、できるだけ早い時期に、書面により明らかにしておく必要があります。時間が経過するほど、「黙認していた」という評価を受ける危険が高まります。
地位の確認を求める方法
取締役の地位の確認
取締役の地位が失われていないことを確定させるため、地位の確認を求めることを検討します。地位の確認を求める訴えについては、確認の利益に関する一般の法理によります。すなわち、現に法律上の地位に不安があり、これを除去するために確認判決を得ることが有効かつ適切であるといえるかが問題となります。
辞任の意思表示の不存在の主張
この類型では、そもそも辞任の意思表示が存在しないという主張が中心となります。会社側は、辞任届が存在すること、本人が署名又は押印したことを主張することが想定されます。
| 会社側の主張 | 検討すべき点 |
|---|---|
| 辞任届に本人の署名がある | 筆跡の同一性、署名の経緯 |
| 辞任届に本人の印影がある | 印章の管理の状況、他の書面への使用 |
| 本人が口頭で辞任すると述べた | 発言の有無、その趣旨 |
| 本人が退任を前提とする行動をとった | 行動の評価 |
私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定されるものとされています(民事訴訟法第228条第4項)。したがって、本人の印影がある場合には、この推定を覆すための主張立証が必要となります。印章が会社に保管されていた、他の書面のために預けていた、といった事情の主張が考えられます。
仮の地位を定める仮処分
争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするときは、仮の地位を定める仮処分命令を発することができるものとされています(民事保全法第23条第2項)。本案の訴訟には時間を要しますので、緊急を要する場合には、この手続の検討を要します。もっとも、要件は厳格であり、疎明の程度も高いものが求められます。
登記の是正の方法
登記の記録を実体に合致させる方法としては、次のものが考えられます。
| 方法 | 内容 | 留意点 |
|---|---|---|
| 会社による更正又は抹消の申請 | 会社が自ら誤りを認めて申請します | 会社の協力が必要です |
| 判決に基づく登記 | 地位の確認の判決等を得たうえで登記の是正を図ります | 時間を要します |
| 登記所に対する申出 | 誤った登記がされている旨を申し出ます | 手続及び要件は登記所においてご確認ください |
商業登記の更正及び抹消の具体的な手続については、商業登記に関する法令の定めによります。個別の条項については、事案に応じて確認いたします。
刑事上の問題
辞任届が偽造されている場合には、刑事上の問題が生じ得ます。
| 行為 | 該当し得る罪 | 条文 |
|---|---|---|
| 辞任届を偽造すること | 私文書偽造 | 刑法第159条 |
| 偽造した辞任届を行使すること | 偽造私文書等行使 | 刑法第161条 |
| 虚偽の申立てにより登記簿に不実の記録をさせること | 公正証書原本不実記載等 | 刑法第157条第1項 |
なお、株式会社の登記を怠った場合等については、過料に処せられるものとされています(会社法第976条)。
刑事上の手続を用いるかどうかは、慎重な検討を要します。刑事の手続は、民事上の地位の回復を直接にもたらすものではありません。他方、事実関係の解明に資する場合があります。用いるかどうか、用いる場合の時期については、事案に応じた判断となります。
案件で確認すべき事項
| 番号 | 確認事項 | 資料 |
|---|---|---|
| 1 | 退任として登記された年月日及び登記の年月日 | 履歴事項全部証明書 |
| 2 | 同時期に行われた他の登記 | 履歴事項全部証明書 |
| 3 | 辞任届とされる書面の存否及び内容 | 会社への求め、登記所での閲覧 |
| 4 | 印章の管理の状況 | 本人の記憶、社内の記録 |
| 5 | 退任として登記された後の職務の継続の有無 | 出勤の記録、決裁の記録、電子メール |
| 6 | 報酬の支払の継続の有無 | 給与明細、預金通帳 |
| 7 | 社会保険の被保険者資格の状況 | 保険証、資格の記録 |
| 8 | 株主構成 | 株主名簿、法人税申告書別表二 |
| 9 | 気付いた時期及びその経緯 | 記録 |
| 10 | 会社に対して行った申入れの記録 | 書面の控え |
第5及び第6の点は、特に重要です。退任として登記された後も職務を継続し、報酬を受け取っていた場合には、辞任の意思表示がなかったことを推認させる事情となります。
弁護士にご相談いただく意味
この類型では、時間の経過が決定的に不利に働きます。登記が残ったまま年数が経過すると、対外的な既成事実が積み重なり、地位の回復が事実上困難となっていきます。また、辞任の意思表示がなかったことを主張するための資料も、時間とともに散逸します。
弁護士は、役員の代理人として、事実関係の確定、会社に対する通知、資料の保全、地位の確認を求める手続、仮の地位を定める仮処分の申立て、登記の是正、必要に応じた刑事上の手続の検討を行います。
なお、手続を用いる順序及び時期、会社に対する通知の内容は、株主構成、取締役会の構成、従前の経緯等により異なり、当事務所が個別の案件を通じて蓄積してまいりました実務上の知見に属しますので、本記事では詳細を開示しておりません。
よくあるご質問
質問1 まず何をすればよいですか。
履歴事項全部証明書を取得し、退任の年月日と登記の年月日を確認してください。そのうえで、辞任の意思表示をしていない旨を書面により会社に通知し、その控えを保存してください。できるだけ早い時期にご相談ください。
質問2 辞任届に自分の印鑑が押されているようです。
私文書は、本人の印影があるときは真正に成立したものと推定されます(民事訴訟法第228条第4項)。印章の管理の状況、他の書面のために預けていた事情等を主張して、推定を覆すことを検討します。
質問3 登記を先に直してもらうことはできませんか。
会社が自ら誤りを認めて更正又は抹消の申請を行えば、登記の是正は可能です。会社が応じない場合には、地位の確認を求める手続を経ることになります。
質問4 1年以上気付きませんでした。手遅れですか。
時間の経過は不利に働きますが、直ちに手遅れとなるわけではありません。この間に職務を継続していた、報酬を受け取っていたといった事情があれば、有力な資料となります。
質問5 刑事告訴をしたほうがよいですか。
刑事の手続は、民事上の地位の回復を直接にもたらすものではありません。用いるかどうか、用いる場合の時期については、民事上の手続との関係を踏まえて判断すべき事項です。
質問6 退任と登記されている間の報酬はどうなりますか。
取締役の地位が失われていないのであれば、報酬請求権も存続していることになります。地位の確認と併せて、未払の報酬の請求を検討することになります。金銭の請求については、当法人が運営する別の情報提供のページにおいても取り扱っております。
地位が存続していたことを示す資料の整理
辞任の意思表示をしていないことを主張するにあたり、退任として登記された後も取締役として活動していた事実は、有力な資料となります。
| 資料 | 示し得る事項 |
|---|---|
| 出勤の記録、入退室の記録 | 会社における活動の継続 |
| 決裁の記録、稟議書への押印 | 業務執行への関与 |
| 取締役会の招集通知 | 取締役として扱われていたこと |
| 取締役会議事録における出席の記載 | 同上 |
| 給与明細、預金通帳 | 役員報酬の支払の継続 |
| 源泉徴収票 | 同上 |
| 社会保険の被保険者資格 | 会社との関係の継続 |
| 名刺、社内報、対外的な文書 | 取締役として表示されていたこと |
| 取引先とのやりとり | 対外的に取締役として行動していたこと |
| 電子メールの記録 | 日常の職務の遂行 |
登記上の退任の日以後も報酬が支払われていた場合、会社が退任を前提としていなかったことをうかがわせます。給与明細及び預金通帳の確認は、最初に行うべき作業の一つです。
時間の経過による不利益
| 経過した期間 | 生じ得る不利益 |
|---|---|
| 数週間 | 対外的な影響は限定的です |
| 数か月 | 取引先及び金融機関における認識が定着します |
| 1年 | 任期の満了が近づき、地位の確認を求める利益が問題となり得ます |
| 数年 | 資料の散逸、関係者の記憶の減退、既成事実の固定 |
取締役の任期は、原則として選任後2年以内に終了する事業年度のうち最終のものに関する定時株主総会の終結の時までとされています(会社法第332条第1項)。公開会社でない株式会社においては、定款により選任後10年以内に伸長することができます(同条第2項)。任期が短い場合には、争っている間に任期が満了し、地位の確認を求める利益が失われる可能性があります。
したがって、この類型では、気付いた時点で直ちに動くことが求められます。
会社に対する通知の内容
登記の誤りに気付いた後、会社に対して送付する書面には、次の事項を記載します。
| 番号 | 記載する事項 |
|---|---|
| 1 | 辞任の意思表示をしていないこと |
| 2 | 登記の記録が事実と異なること |
| 3 | 取締役としての地位が現に存続していると考えていること |
| 4 | 辞任届とされる書面が存在する場合には、その写しの交付を求めること |
| 5 | 登記の申請に用いられた書面の写しの交付を求めること |
| 6 | 登記の是正を求めること |
| 7 | 取締役としての職務の遂行を妨げないよう求めること |
| 8 | 報酬の支払を求めること |
配達の記録が残る方法により送付し、控えを保存します。この書面は、後に「黙認していた」との主張を排除するための起点となります。
登記が是正された後に残る問題
登記が是正され、地位が確認された場合であっても、次の問題が残ります。
| 残る問題 | 内容 |
|---|---|
| 退任として登記されていた期間の報酬 | 支払を受けていない場合の請求 |
| 当該期間に行われた決議の効力 | 自らに招集通知が発せられていない取締役会の決議 |
| 当該期間に行われた取引の効力 | 対外的な効力は原則として認められます |
| 会社との信頼関係 | 事実上、在任の継続が難しい場合があります |
| 責任の範囲 | 当該期間に生じた事象についての責任 |
地位が回復されても、その後に適法な手続により解任される可能性は残ります。地位の回復を目指すか、金銭による解決を目指すかは、これらを踏まえた判断となります。
本記事における非開示事項について
手続を用いる順序及び時期、会社に対する通知の内容、刑事上の手続との組合せ方は、株主構成、従前の経緯、資料の状況等により異なり、当事務所が実務において蓄積してまいりました知見に属しますので、公開しておりません。
弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談
弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕)では、役員の地位に関するご相談をお受けしております。当事務所は、役員の側の代理人となる案件も、会社の側の代理人となる案件も取り扱っており、この分野に精通していることから当該分野を取り扱っております。
- 電話番号 03-6435-8418
- 受付時間 8時00分から21時00分まで(土曜日・日曜日・祝日も受付)
- ご相談は事前予約制です
ご相談に際しましては、履歴事項全部証明書、定款の写し、株主名簿の写し、給与明細、社内の記録、会社との往復の書面をお持ちください。お手元になくてもご相談をお受けしております。
本記事の根拠条文
会社法 第330条(株式会社と役員との関係)、第339条第1項(役員の解任)、第346条第1項(役員に欠員を生じた場合の措置)、第908条第1項・第2項(登記の効力及び不実の登記)、第915条第1項(変更の登記)、第976条(過料に処すべき行為)
民法 第96条第1項(詐欺又は強迫)、第97条第1項(意思表示の効力発生時期)、第651条第1項(委任の解除)
民事訴訟法 第228条第4項(文書の成立の推定)
民事保全法 第23条第2項(仮の地位を定める仮処分命令)
刑法 第157条第1項(公正証書原本不実記載等)、第159条(私文書偽造等)、第161条(偽造私文書等行使)
制度名により記述する部分 商業登記の更正及び抹消の具体的な手続については、商業登記に関する法令の定めによります。個別の条項は事案に応じて確認いたします。取締役の地位の確認を求める訴えの確認の利益については、民事訴訟法上の一般の法理によります。
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