辞任届が偽造されていた場合の刑事上の問題

辞任届が偽造されていた場合の刑事上の問題
辞任していないにもかかわらず退任の登記がされている場合、その前提として辞任届が作成されていることがあります。作成に関与していない辞任届が用いられている場合には、刑事上の問題が生じ得ます。もっとも、刑事上の手続と、役員の地位を回復する民事上の手続とは別のものでありますので、両者の関係を正しく理解しておく必要があります。本記事では、この点を整理いたします。
結論 刑事上の問題は生じ得ますが、地位の回復は民事の手続によります
まず押さえるべき点は、次のとおりです。
| 目的 | 用いる手続 |
|---|---|
| 役員の地位を回復すること | 地位の確認を求める訴え等の民事上の手続 |
| 登記を是正すること | 民事上の判決等を得たうえで行う手続 |
| 損害の賠償を求めること | 不法行為に基づく請求(民法第709条)等 |
| 刑事上の責任を問うこと | 告訴又は告発(刑事訴訟法第230条、第239条第1項) |
告訴が受理され、捜査が行われたとしても、それによって直ちに登記が是正されるわけではなく、役員の地位が回復されるわけでもありません。地位の回復を求めるのであれば、民事上の手続を並行して進める必要があります。
他方、刑事上の手続には、捜査機関による資料の収集が行われるという意味があります。当事者が自ら収集することの困難な資料が明らかになる場合がありますので、両者を組み合わせることに実務上の意味があります。
問題となり得る各罪
私文書偽造及び変造
行使の目的で、他人の印章若しくは署名を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書を偽造した場合には、私文書偽造の罪が問題となり得ます(刑法第159条第1項)。他人が押印し又は署名した文書を変造した場合についても、同様の定めが置かれております(同条第2項)。
辞任届は、役員の地位に関する意思表示を記載した文書でありますので、権利義務に関する文書に当たり得ます。署名が本人によるものでない場合、印影が本人の意思に基づかずに顕出された場合が、典型的に問題となる場面です。
また、日付が空欄のまま署名した書面に、後から日付が記載された場合には、変造に当たるかが問題となり得ます。この場合、署名そのものは本人によるものでありますので、判断は事実関係により異なります。
偽造私文書等行使
偽造され又は変造された文書を行使した場合には、偽造私文書等行使の罪が問題となり得ます(刑法第161条第1項)。登記の申請に際して辞任届を法務局に提出する行為が、これに当たり得る場面です。
公正証書原本不実記載等
公務員に対し虚偽の申立てをして、権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせた場合には、公正証書原本不実記載等の罪が問題となり得ます(刑法第157条第1項)。商業登記の登記簿は、これに当たり得るものと解されております。
さらに、不実の記載がされた登記簿を行使した場合についても、定めが置かれております(刑法第158条第1項)。
私印偽造及び不正使用
他人の印章を偽造し、又は他人の印章を不正に使用した場合には、私印偽造及び不正使用等の罪が問題となり得ます(刑法第167条)。会社に預けていた実印が用いられた場合等に問題となります。
告訴の手続と限界
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 告訴 | 犯罪の被害者等が、犯罪事実を申告し、犯人の処罰を求める意思表示(刑事訴訟法第230条) |
| 告発 | 告訴をすることができる者以外の者が犯罪事実を申告すること(刑事訴訟法第239条第1項) |
| 提出先 | 警察又は検察庁 |
| 受理 | 受理されるかは捜査機関の判断によります |
| 公訴時効 | 期間の定めがあります(刑事訴訟法第250条) |
実務上、会社の内部の紛争に関する事案については、民事上の争いであるとして受理に至らない例が少なくありません。受理を得るためには、犯罪事実を具体的に特定し、これを裏付ける資料を添えることが重要です。
また、公訴時効の期間が経過した後は、公訴を提起することができません。時間の経過は不利に働きますので、早期に検討することが必要です。
立証の資料
| 資料 | 示し得る事項 |
|---|---|
| 登記事項証明書 | 退任の登記の存在、原因、年月日 |
| 登記の添付書面(辞任届) | 作成されている文書の内容、署名及び押印の状況 |
| 自らの署名の対照資料 | 筆跡が異なることの主張の基礎 |
| 印鑑登録証明書、印影の対照資料 | 印影の異同 |
| 当時の所在に関する資料 | 作成日に署名し得なかったこと |
| 電子メール、通信の記録 | 辞任の意思がなかったこと |
| 報酬の支払の記録 | 退任後とされる時期に在任していたこと |
| 取締役会議事録 | 同上 |
最も重要なのは、登記の申請に際して提出された辞任届そのものです。利害関係を有する部分に限り、登記の申請書及び添付書面の閲覧を請求することができるものとされておりますので、まずこれを確認することを検討いたします。
退任の登記がされた後も報酬が支払われていた、取締役会に出席していたといった事実は、退任の事実がなかったことを示す有力な資料となります。振込みの記録、議事録、電子メールを確保してください。
民事上の手続との使い分け
| 場面 | 民事上の手続 | 刑事上の手続 |
|---|---|---|
| 地位を回復したい | 地位の確認を求める訴え | 直接の効果はありません |
| 登記を是正したい | 判決等に基づく手続 | 直接の効果はありません |
| 損害の回復を求めたい | 不法行為に基づく損害賠償の請求 | 直接の効果はありません |
| 資料を明らかにしたい | 文書提出命令の申立て等 | 捜査による解明が期待し得る場合があります |
| 相手方に対応を促したい | 訴えの提起 | 告訴により事実上の効果が生じる場合があります |
刑事上の手続を先行させると、民事上の期間の管理がおろそかになることがあります。地位の確認を求める訴えには期間の制限がありませんが、株主総会の決議を争う場合には決議の日から3か月という制限がありますので、期間の管理は民事を基準として行ってください。
よくあるご質問
質問1 告訴すれば登記は元に戻りますか。
戻りません。登記の是正は民事上の手続によります。役員の地位を有することの確認を求める訴えを提起し、その結果に基づいて手続を進めることが基本となります。
質問2 署名は自分のものですが、日付は書いていません。
署名が本人によるものである場合には、偽造ではなく変造の可否が問題となります。判断は事実関係により異なりますので、署名した経緯と、当時の状況を具体的に記録してください。
質問3 会社に実印を預けていました。
印章を預けていた事実は、押印が本人の意思に基づくものであったかどうかの判断に影響し得ます。預けた経緯、目的、期間、返還を求めた事実を記録に残してください。
質問4 告訴が受理されませんでした。
受理されるかは捜査機関の判断によります。受理されないことは、民事上の主張が認められないことを意味するものではありません。民事上の手続を進めることに支障はありません。
質問5 何年も前のことです。
刑事については公訴時効の期間の定めがあります(刑事訴訟法第250条)。民事については、地位の確認を求める訴えに期間の制限はありませんが、時間の経過により立証は困難となります。早期の着手が必要です。
着手の順序
- 登記事項証明書を取得し、退任の登記の内容を確認します
- 登記の添付書面の閲覧を検討し、辞任届の内容を確認します
- 辞任の意思がないことを会社に対して書面により明らかにします
- 退任とされる時期以降も在任していたことを示す資料を収集します
- 民事上の手続と刑事上の手続のいずれを先行させるかを検討します
いずれの手続を選ぶ場合であっても、出発点は登記事項証明書の取得と、辞任の意思がないことの書面による明示です。この二つは、早期に行っておくことをお勧めいたします。
本記事における非開示事項について
告訴状の記載の程度、資料の提示の順序、民事上の手続と刑事上の手続の組合せの判断は、事実関係、資料の状況、会社との関係により異なり、当事務所が実務において蓄積してまいりました知見に属しますので、公開しておりません。
弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談
弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕)では、役員の解任に関するご相談をお受けしております。当事務所は、役員の側の代理人となる案件も、会社の側の代理人となる案件も取り扱っており、この分野に精通していることから当該分野を取り扱っております。
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本記事の根拠条文
刑法 第157条第1項(公正証書原本不実記載等)、第158条第1項(不実記載公正証書原本行使等)、第159条第1項・第2項(私文書偽造及び変造)、第161条第1項(偽造私文書等行使)、第167条(私印偽造及び不正使用等)
刑事訴訟法 第230条(告訴)、第239条第1項(告発)、第250条(公訴時効の期間)
会社法 第330条(株式会社と役員との関係)、第346条第1項(役員が欠けた場合の措置)、第908条第1項(登記の効力)、第915条第1項(変更の登記)
民法 第709条(不法行為による損害賠償)
判例法理による部分 文書の成立の真正に関する事実上の推定については、判例法理によります。個別の事案における適用は、事実関係により異なります。
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