辞任届の日付を空欄のまま渡すことの危険

辞任届の日付を空欄のまま渡すことの危険
辞任届の日付を空欄のまま会社に渡すことは、避けるべきものです。日付は退任の効力が生じた時期を示すものであり、登記の内容を左右します。空欄のまま渡した場合には、会社の側が自らに有利な日付を記載することが可能となり、後にこれを争うことが著しく困難となります。本記事では、日付が持つ意味と、空欄のまま渡した場合に生じ得る不利益を整理いたします。
結論 日付は必ず自ら記載し、写しを保管してください
辞任届を提出する場合の原則は、次のとおりです。
| 項目 | 取扱い |
|---|---|
| 日付 | 必ず自ら記載します。空欄のまま渡してはなりません |
| 宛先 | 必ず記載します。空欄のまま渡してはなりません |
| 辞任する地位 | 取締役か、代表取締役か、その双方かを明記します |
| 写し | 署名した状態の全文の写しを保管します |
| 提出の記録 | 提出した日、相手方、方法を記録します |
宛先の欄も同様に重要です。宛先が空欄であると、後に「代表取締役に対して提出された」「取締役会に対して提出された」といった主張が会社の側から自由に構成される余地が生じます。
そもそも、辞任と解任とでは、その後に採り得る手段が異なります。解任について正当な理由がない場合には会社に対して損害の賠償を請求することができますが(会社法第339条第2項)、自ら辞任した場合には、この請求は原則としてできません。辞任届への署名を求められた段階で、直ちに署名すべきではないのは、このためです。
日付が持つ意味
退任の効力の発生の時期
株式会社と役員との関係は、委任に関する規定に従うものとされております(会社法第330条)。委任は、各当事者がいつでもその解除をすることができますので(民法第651条第1項)、役員はいつでも辞任することができます。
辞任の意思表示は、相手方に到達することによって効力を生ずるのが原則です。辞任届に記載された日付は、この意思表示がされた時期を示すものとして扱われますので、記載された日付により、いつまで役員であったかが決まることになります。
登記との関係
役員の退任は登記事項の変更に当たりますので、会社は、変更が生じたときから2週間以内に、変更の登記をしなければなりません(会社法第915条第1項)。辞任による退任の登記の申請においては、辞任届が添付書面となります。
したがって、辞任届に記載された日付が、そのまま登記事項証明書に記載される退任の年月日となります。登記事項証明書は誰でも取得することができますので、その記載は対外的な意味を持ちます。
在任中の責任及び報酬との関係
| 日付が影響する事項 | 内容 |
|---|---|
| 役員報酬 | いつまでの報酬を請求することができるか |
| 役員退職慰労金 | 在任期間の計算の終期 |
| 会社に対する責任 | 在任中の職務の執行についての責任の範囲 |
| 第三者に対する責任 | 退任の後に生じた事象について責任を負うか |
| 個人保証 | 退任を理由とする保証の解除の交渉の前提 |
| 競業避止義務 | 取締役としての義務が及ぶ期間 |
日付は単なる形式ではなく、以上の各事項に直接影響いたします。
空欄を利用して不利益な日付が記載される場面
実務上、次のような場面が見られます。
- 会社に紛争が生じた後に、過去の日付が記載され、紛争の前に既に退任していたことにされる場面
- 会社に損害が生じた事象について、その当時なお在任していたことにするため、後の日付が記載される場面
- 報酬の支払を免れるため、実際の退任より前の日付が記載される場面
- 役員退職慰労金の算定の基礎となる在任期間を短くするため、前の日付が記載される場面
- 就任の直後に徴求された辞任届が、数年後に至って任意の日付を記載して用いられる場面
最後の場面は、就任に際して辞任届の提出を求められる慣行がある会社において生じます。就任の時点では問題を感じないまま署名し、後に経営権の争いが生じた段階で、これが用いられることになります。
記載された後に採り得る手続
| 主張 | 内容 | 根拠 |
|---|---|---|
| 意思表示の不存在 | 辞任の意思表示そのものをしていないこと | 民法の一般原則 |
| 強迫による取消し | 強迫により辞任の意思表示をさせられたこと | 民法第96条第1項 |
| 錯誤による取消し | 意思表示の内容について重要な錯誤があったこと | 民法第95条 |
| 文書の変造 | 署名の後に日付が加えられ、又は改められたこと | 刑法第159条第1項も問題となり得ます |
| 地位の確認 | 役員の地位を有することの確認を求めること | 民事訴訟の一般原則 |
これらの主張はいずれも、辞任届の記載という外形に反する事実を主張するものでありますので、立証は容易ではありません。会社の側は、署名のある辞任届という書面を示せば足りるのに対し、役員の側は、その成立の経緯を立証しなければなりません。
また、事実と異なる登記がされた場合には、公正証書原本不実記載等の罪が問題となり得ます(刑法第157条第1項)。もっとも、刑事上の問題と登記の是正とは別の手続でありますので、地位の確認の訴えによって民事上の解決を図ることが基本となります。
渡してしまった場合の対応
既に日付が空欄の辞任届を渡してしまった場合には、次の順序で対応することが考えられます。
| 順序 | 行うこと |
|---|---|
| 第1 | 渡した日、相手方、経緯を、自らの記録として直ちに書き留めます |
| 第2 | 会社に対し、書面により返還を求めます |
| 第3 | 返還を求めた事実と回答を記録に残します |
| 第4 | 辞任の意思がないことを書面により明らかにします |
| 第5 | 登記事項証明書を定期的に取得し、登記の状況を確認します |
返還が拒まれた場合であっても、返還を求めた事実と、辞任の意思がないことを明らかにした事実が記録として残ります。これは、後に日付が記載されて用いられた場合において、意思表示の不存在を主張する重要な資料となります。
登記事項証明書の確認は、法務局において、又はオンラインにより行うことができます。退任の登記がされた場合、会社から通知がされるとは限りませんので、自ら定期的に確認することが必要です。
署名を求められている段階でできること
まだ署名していない段階であれば、選択の余地があります。次の点を確認してください。
- 辞任と解任のいずれであるのかを、会社に書面により明らかにさせること
- 辞任を求める理由を書面により示させること
- 報酬、役員退職慰労金、個人保証、貸付金の取扱いを併せて確認すること
- 回答を得るまでは署名しないこと
会社の側が期限を切って署名を迫ることがありますが、辞任は自らの意思により行うものであり、期限に応じる法的な義務はありません。会社が退任を求めるのであれば、株主総会の決議による解任という手続によることになります。
よくあるご質問
質問1 日付を空欄にして渡しました。取り返せますか。
会社に対して書面により返還を求めることが考えられます。会社が任意に返還しない場合に、これを強制する簡便な手続はありませんので、返還を求めた事実と、辞任の意思がないことを明らかにした事実を記録に残すことが実務上の対応となります。
質問2 既に退任の登記がされてしまいました。
登記の記載自体を直接に取り消す簡便な手続はありませんので、役員の地位を有することの確認を求める訴えを提起し、勝訴の判決を得たうえで登記の是正を求めることが基本となります。まず登記事項証明書を取得し、退任の年月日と登記の年月日を確認してください。
質問3 辞任届を撤回できますか。
辞任の意思表示が相手方に到達した後は、原則として一方的に撤回することはできないと考えられます。もっとも、意思表示そのものがないこと、又は強迫若しくは錯誤により取り消すことができることを主張する余地はあります。
質問4 辞任すると後任がいません。
役員が欠けることとなる場合には、辞任により退任した役員が、新たに選任された役員が就任するまで、なお役員としての権利義務を有することがあります(会社法第346条第1項)。この場合、退任の登記は直ちにはされません。
質問5 就任のときに全員が辞任届を出していると言われました。
そのような慣行がある会社が存在することは事実ですが、法律上の根拠に基づくものではありません。全員が提出しているという事情は、個別の辞任の意思表示があったことを基礎づけるものではありません。
確認事項の一覧
| 確認事項 | 確認の方法 |
|---|---|
| 辞任届の記載の内容 | 署名時の写し。手元にない場合は記憶の記録化 |
| 提出の日及び相手方 | 自らの記録、電子メール、送付の記録 |
| 退任の登記の有無 | 登記事項証明書 |
| 登記された退任の年月日 | 同上 |
| 報酬の支払の状況 | 給与明細、振込みの記録 |
| 会社からの説明 | 電子メール、書面、録音 |
署名した書面の写しが手元にあるかどうかが、その後の主張の組み立てを大きく左右いたします。署名を求められた場合には、写しの交付を求めることを習慣とすることをお勧めいたします。
本記事における非開示事項について
返還の求め方、辞任の意思がないことを明らかにする書面の記載の程度、登記の是正を求める手続の選択は、会社との関係、株主構成、資料の状況により異なり、当事務所が実務において蓄積してまいりました知見に属しますので、公開しておりません。
弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談
弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕)では、役員の解任に関するご相談をお受けしております。当事務所は、役員の側の代理人となる案件も、会社の側の代理人となる案件も取り扱っており、この分野に精通していることから当該分野を取り扱っております。
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弁護士費用につきましては、弁護士費用一覧のページをご覧ください。
本記事の根拠条文
会社法 第330条(株式会社と役員との関係)、第339条第1項・第2項(役員の解任及び損害賠償)、第346条第1項(役員が欠けた場合の措置)、第908条第1項(登記の効力)、第915条第1項(変更の登記)、第976条(過料に処すべき行為)
民法 第95条(錯誤)、第96条第1項(詐欺又は強迫)、第651条第1項・第2項(委任の解除)
刑法 第157条第1項(公正証書原本不実記載等)、第159条第1項(私文書偽造等)
判例法理による部分 辞任の意思表示の効力の発生の時期及び撤回の可否については、判例法理によります。個別の事案における適用は、事実関係により異なります。
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