辞任届への署名を求められた取締役が署名の前に確認する事項
辞任届への署名を求められた取締役が署名の前に確認する事項
「今日中に辞任届に署名してほしいと言われています」「署名しなければ解任すると言われました」「日付は空欄のままでよいから、とにかく名前だけ書いてくれと求められています」。このようなご相談は、多くの場合、判断を要する当日に寄せられます。
本記事は、役員の地位を守るという観点から、署名の前に確認すべき事項を整理するものです。退職慰労金その他の金銭の請求という観点からの整理は、当法人が運営する別の情報提供のページにおいて取り扱っております。当事務所は、役員の側の代理人となる案件も、会社の側の代理人となる案件も取り扱っております。本記事は、地位を争う側の方に向けたものです。
結論 署名を求められている段階が、最も選択肢の広い状態です
辞任と解任とでは、その後に採り得る手段が大きく異なります。最も重要な違いは、次の点です。
| 項目 | 自ら辞任した場合 | 株主総会の決議により解任された場合 |
|---|---|---|
| 地位の喪失の原因 | 自らの意思表示 | 会社の意思 |
| 正当な理由のない解任を理由とする損害賠償 | 請求することができません | 請求し得ます(会社法第339条第2項) |
| 決議の効力を争う訴え | 対象となる決議がありません | 決議取消しの訴え等を検討し得ます |
| 地位の確認 | 意思表示の瑕疵を主張する必要があります | 決議の効力を争うことにより検討し得ます |
| 交渉上の立場 | 自ら退いたという評価を受けます | 一方的に地位を奪われたという評価を受けます |
したがって、署名を求められている段階は、まだ選択肢が残されている状態です。署名をした後に取り消すことは、不可能ではありませんが、要件が厳格であり、容易ではありません。
署名の前に確認すべき10の事項
| 番号 | 確認事項 | 確認の理由 |
|---|---|---|
| 1 | 辞任届の宛先 | 会社宛てか、代表取締役宛てか。誰に対する意思表示となるか |
| 2 | 辞任の効力が生ずる日付 | 空欄のままとされていないか |
| 3 | 辞任の理由の記載 | 「一身上の都合」等の記載が後に不利に働かないか |
| 4 | 併せて署名を求められている他の書面 | 清算条項、退職の合意、競業避止の条項等が含まれていないか |
| 5 | 役員退職慰労金の取扱い | 支給の有無、金額、時期が定められているか |
| 6 | 未払の役員報酬の取扱い | 精算の合意があるか |
| 7 | 会社の借入れの個人保証 | 解除の手当てがされているか |
| 8 | 会社に対する貸付金 | 返済の合意があるか |
| 9 | 保有している株式 | 譲渡を求められていないか、価格は適正か |
| 10 | 使用人としての地位の有無 | 使用人としての地位まで失う内容となっていないか |
第4から第10までの事項は、辞任届そのものには書かれていないことが多く、別の書面又は口頭の説明として提示されます。辞任届のみを見て判断すると、これらの点が未解決のまま地位のみを失うことになります。
日付の空欄について
日付を空欄のまま渡すことには、特に注意を要します。会社が任意の日付を記入することができる状態となり、辞任の効力が生じた時期について争いが生じます。役員の在任期間は、報酬、退職慰労金の算定、責任の範囲のいずれにも影響します。
清算条項について
「本件に関し、当事者間に何らの債権債務がないことを相互に確認する」といった条項が含まれている場合、退職慰労金、未払報酬、貸付金の請求権を放棄する結果となり得ます。辞任届と同時に提示される合意書には、この種の条項が置かれていることがあります。
辞任の法的な性質
辞任は委任契約の解除です
株式会社と役員との関係は、委任に関する規定に従うものとされています(会社法第330条)。委任は、各当事者がいつでもその解除をすることができるものとされています(民法第651条第1項)。したがって、取締役は、いつでも辞任することができます。
もっとも、当事者の一方が相手方に不利な時期に委任の解除をしたときは、その解除がやむを得ない事由によるものであった場合を除き、相手方の損害を賠償しなければならないものとされています(民法第651条第2項第1号)。
辞任の効力が生ずる時期
辞任は、会社に対する一方的な意思表示によって効力を生じます。意思表示は、相手方に到達した時からその効力を生ずるものとされています(民法第97条第1項)。したがって、辞任届が会社に到達した時に、原則として辞任の効力が生じます。
辞任した後も職務を続ける場合があります
役員が欠けた場合又は法令若しくは定款で定めた役員の員数が欠けた場合には、任期の満了又は辞任により退任した役員は、新たに選任された役員が就任するまで、なお役員としての権利義務を有するものとされています(会社法第346条第1項)。この場合、辞任したにもかかわらず、権利義務を有する役員として職務を継続すべき立場に置かれます。
小規模な会社で取締役の員数が定款上の下限に達している場合には、この規定の適用が問題となります。
署名を拒んだ場合に会社が採り得る手続
署名を拒んだ場合、会社は次の手続を採ることが想定されます。
| 会社が採り得る手続 | 内容 | 根拠 |
|---|---|---|
| 株主総会における解任 | 株主総会の決議により役員を解任します | 会社法第339条第1項 |
| 代表取締役の解職 | 取締役会の決議により代表取締役の地位を解きます | 会社法第362条第2項第3号 |
| 任期の満了による不再任 | 任期の満了時に再任しません | 定款及び会社法第332条 |
| 報酬の減額、職務の取上げ | 事実上の圧力を加えます | 一方的な減額は原則として許されません |
解任される場合には、正当な理由がなければ、会社に対して損害の賠償を請求し得る立場に立ちます(会社法第339条第2項)。この点が、自ら辞任した場合との最大の違いです。
したがって、「署名しなければ解任する」と告げられた場合、解任されることが直ちに不利であるとは限りません。もっとも、解任の理由として何が主張されるか、社内外への説明がどのように行われるかといった事情もありますので、一律に「解任されたほうがよい」とも申し上げられません。
既に署名してしまった場合
取消しの余地
署名した後であっても、次の主張の余地があります。
| 主張 | 要件の概要 | 根拠 |
|---|---|---|
| 強迫による取消し | 強迫によって意思表示をしたこと | 民法第96条第1項 |
| 錯誤による取消し | 意思表示に対応する意思を欠く錯誤等があり、その錯誤が重要なものであること | 民法第95条第1項 |
| 詐欺による取消し | 詐欺によって意思表示をしたこと | 民法第96条第1項 |
| 意思表示の不存在 | そもそも辞任の意思表示をしていないこと | 事実の問題です |
取消権は、追認をすることができる時から5年間行使しないときは、時効によって消滅します。行為の時から20年を経過したときも同様です(民法第126条)。
撤回の可否
辞任の意思表示が会社に到達した後は、原則として一方的に撤回することはできません。会社が撤回に同意する場合には、事実上、辞任がなかったものとして扱われることがあります。
もっとも、「署名はしたが、まだ会社に提出していない」という状態であれば、意思表示が到達していないことになり、扱いが異なります。書面の所在の確認が重要です。
当面の対応
署名を求められている段階で、直ちに採り得る対応は、次のとおりです。
| 対応 | 内容 |
|---|---|
| 即答を避ける | 「内容を確認したうえで回答する」と述べます |
| 書面の写しを確保する | 求められている書面の全部の写しを取得します |
| やりとりの記録を残す | 日時、場所、同席者、述べられた内容を書き留めます |
| 手元の資料を保全する | 契約書、議事録、報酬に関する資料等を確保します |
| 登記事項証明書を取得する | 現在の登記の状態を確認します |
| 相談する | 署名の前の段階で、弁護士に相談します |
即答を避けることは、それ自体が有効な対応です。「今日中に」と求められる場面が多いことには、理由があります。
案件で確認すべき事項
| 番号 | 確認事項 | 資料 |
|---|---|---|
| 1 | 現在の役職及び任期の残り | 登記事項証明書、定款 |
| 2 | 株主構成 | 株主名簿、法人税申告書別表二 |
| 3 | 取締役会の構成及び員数 | 登記事項証明書 |
| 4 | 定款上の役員の員数の定め | 定款 |
| 5 | 報酬の額及び決定の経過 | 議事録、給与明細 |
| 6 | 役員退職慰労金支給規程の有無 | 規程 |
| 7 | 個人保証及び貸付金の状況 | 契約書 |
| 8 | 保有する株式の数 | 株主名簿 |
| 9 | 使用人としての地位の有無 | 雇用契約、社会保険の記録 |
| 10 | 署名を求められるに至った経緯 | 記録、電子メール |
株主構成の確認は、特に重要です。株主総会の決議により解任される可能性がどの程度あるかは、議決権の分布により決まります。自らが過半数の議決権を有している場合には、解任の決議が成立しないことになります。
弁護士にご相談いただく意味
署名の前の段階で相談されるかどうかにより、その後に採り得る手段の幅が大きく変わります。署名をした後は、意思表示の瑕疵を主張するという、要件の厳しい道に限られていきます。
弁護士は、役員の代理人として、提示されている書面の内容の検討、地位に関する見通しの説明、会社に対する回答、交渉、必要に応じた地位の確認を求める手続の遂行を行います。また、報酬、退職慰労金、個人保証、貸付金、株式といった付随する問題を一体として整理いたします。
なお、会社に対する回答の内容及び時期、交渉の進め方は、株主構成、取締役会の構成、従前の経緯等により異なり、当事務所が個別の案件を通じて蓄積してまいりました実務上の知見に属しますので、本記事では詳細を開示しておりません。
当事務所は、役員退職慰労金及び役員の解任の分野を継続して取り扱っており、会社の側の代理人となる案件も引き受けております。会社がどのような手順を想定して署名を求めているかを承知していることが、役員の側の代理人としての作業にも生きております。
よくあるご質問
質問1 今日中に署名してほしいと言われています。断ってよいですか。
即答を避け、内容を確認したうえで回答すると述べることは、通常は問題となりません。期限を切られていること自体が、判断の時間を与えない意図によるものである場合があります。
質問2 署名しなければ解任すると言われました。解任されるほうが不利ですか。
必ずしもそうとは限りません。解任について正当な理由がない場合には、会社に対して損害の賠償を請求し得る立場に立ちます(会社法第339条第2項)。自ら辞任した場合には、この請求はできません。もっとも、解任の理由として何が主張されるか等の事情もありますので、事案に応じた判断となります。
質問3 日付を空欄のまま渡すよう求められました。
日付を空欄のまま渡すと、辞任の効力が生じた時期について争いが生じます。在任期間は報酬及び退職慰労金の算定にも影響します。空欄のまま渡すことは避けるべきです。
質問4 辞任届と一緒に合意書への署名も求められています。
合意書に清算条項が含まれている場合、退職慰労金、未払報酬、貸付金の請求権を放棄する結果となり得ます。全ての書面の内容を確認したうえで判断する必要があります。
質問5 既に署名して渡してしまいました。取り消せますか。
強迫、錯誤、詐欺による取消しの主張の余地があります(民法第95条第1項、第96条第1項)。要件は厳格ですので、経緯を詳細に伺ったうえで検討いたします。取消権には期間の制限があります(民法第126条)。
質問6 辞任した後も、後任が決まるまで職務を続けなければならないのですか。
法令又は定款で定めた役員の員数が欠けることとなる場合には、辞任により退任した役員は、新たに選任された役員が就任するまで、なお役員としての権利義務を有するものとされています(会社法第346条第1項)。定款上の員数の定めを確認する必要があります。
質問7 使用人としての地位も失うことになりますか。
取締役としての辞任と、使用人としての地位とは、法律上は別のものです。もっとも、提示される書面が使用人としての退職までを含む内容となっている場合があります。書面の記載の確認が必要です。
署名を求められた場面ごとの整理
| 場面 | 想定される会社の意図 | 確認すべき点 |
|---|---|---|
| 業績の責任を問われる中で求められた | 解任の手続を経ずに退任させたい | 解任された場合の見通し、株主構成 |
| 事業承継の一環として求められた | 円満な退任として整理したい | 退職慰労金、株式、個人保証の条件 |
| M&Aの実行に伴って求められた | 買主の要請による役員の交代 | 契約上の約束の有無、退職慰労金の取扱い |
| 親族間の対立の中で求められた | 経営権の掌握 | 議決権の分布、他の法律関係の整理 |
| 健康上の理由を挙げて求められた | 解任の正当な理由の準備 | 現実の職務への支障の有無 |
| 不祥事を理由に求められた | 責任追及の回避又は準備 | 事実の有無、責任の範囲 |
同じ「辞任届への署名の求め」であっても、背景により採るべき対応が異なります。特に、M&A又は事業承継に伴う場合には、退任すること自体は避けられないとしても、条件の整理が可能な場面が多くあります。
署名を保留した場合の当面の過ごし方
署名を保留した後は、会社との関係が緊張することが通常です。この期間においては、次の点に留意します。
| 留意点 | 内容 |
|---|---|
| 職務は通常どおり遂行します | 職務の懈怠を理由とされることを避けます |
| 会社の資金及び資産の取扱いを慎重に行います | 責任追及の材料を作らないためです |
| やりとりを記録します | 日時、場面、発言者、内容 |
| 手元の資料を整理します | 契約書、議事録、報酬に関する資料 |
| 感情的な応酬を避けます | 解任の理由として主張される材料となり得ます |
| 対外的な発言を控えます | 取引先及び従業員への影響を避けます |
保留している間に会社が解任の手続に進む場合がありますが、その場合には解任の手続の適正が争点となります。保留すること自体が不利益をもたらすものではありません。
本記事における非開示事項について
会社に対する回答の内容及び時期、交渉の進め方、地位に関する手続を用いる時期は、株主構成、取締役会の構成、従前の経緯等により異なり、当事務所が実務において蓄積してまいりました知見に属しますので、公開しておりません。
弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談
弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕)では、役員の辞任及び解任に関するご相談をお受けしております。当事務所は、役員の側の代理人となる案件も、会社の側の代理人となる案件も取り扱っており、この分野に精通していることから当該分野を取り扱っております。
- 電話番号 03-6435-8418
- 受付時間 8時00分から21時00分まで(土曜日・日曜日・祝日も受付)
- ご相談は事前予約制です
署名の期限が迫っている場合には、その旨をお申し出ください。ご相談に際しましては、署名を求められている書面の写し、登記事項証明書、定款の写し、株主名簿の写し、報酬に関する資料をお持ちください。お手元になくてもご相談をお受けしております。
本記事の根拠条文
会社法 第330条(株式会社と役員との関係)、第332条(取締役の任期)、第339条第1項・第2項(役員の解任及び損害賠償)、第341条(役員の選任及び解任の株主総会の決議)、第346条第1項(役員に欠員を生じた場合の措置)、第361条第1項(取締役の報酬等)、第362条第2項第3号(代表取締役の選定及び解職)、第915条第1項(変更の登記)
民法 第95条第1項(錯誤)、第96条第1項(詐欺又は強迫)、第97条第1項(意思表示の効力発生時期)、第126条(取消権の期間の制限)、第651条第1項・第2項(委任の解除)
判例法理による部分 解任の「正当な理由」の有無の判断、意思表示の瑕疵の評価については、判例法理及び個別の事実関係によります。
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