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辞任届を書かせたうえで全切りを狙った会社の事例

公開 2026年2月2日更新 2026年10月30日

▶ 辞任届への署名を求められた取締役が署名の前に確認する事項

辞任届を書かせたうえで全切りを狙った会社に対し、解任構成と金銭賠償請求で主導権を奪い返した事例


1 事案の概要 ―「辞めるなら今ここで書け」

相談者は、非上場の中堅企業において約七年間、取締役として勤務していました。
形式上の代表取締役はオーナー会長でしたが、実際の営業戦略、金融機関対応、主要取引先との折衝は、ほぼすべて相談者が担っていました。

ある日、午後四時過ぎ、突然オーナー会長から呼び出され、応接室に入ると、顧問弁護士と人事責任者が同席していました。

机の上には、すでに辞任届と合意書が置かれていました。

オーナー会長は、次のように述べました。

「もう決まった話だ。
今日で取締役は終わりにする。
辞任届に署名してもらう。」

相談者が理由を求めると、

「経営判断が雑だ」
「会社の空気を乱した」
「取締役としての適格性に欠ける」

といった抽象的な言葉が繰り返されるだけでした。


2 時間制限と孤立 ―「今決めないと不利になる」

合意書には、次のような内容が記載されていました。

  • 辞任日は当日付
  • 役員報酬は前月分までで終了
  • 役員退職慰労金は支給しない
  • 今後、会社に対する一切の請求を行わない
  • 内容を第三者に開示しない

さらに、オーナー会長は、

「今ここで署名すれば、円満退任として処理する」
「持ち帰るなら、こちらも考える」

と述べました。

この「考える」という言葉には、
訴訟リスクの示唆、
業界内での評価への影響、
取引先への説明
といった含みが明確に込められていました。

相談者は、その場で弁護士に連絡することも許されず、
「今日中に返事をしろ」
と事実上の時間制限を課されました。


辞任届と合意書への署名を迫られている場合の対応は、次のページでご案内しています。

3 生活への直撃 ― 家族に言えない夜

相談者は、書類を持ち帰り、その夜、自宅で内容を読み返しました。

  • 来月以降の収入はゼロ
  • 子どもの学費の支払時期が迫っている
  • 住宅ローンが残っている
  • 次の仕事の目途は立っていない

一方で、
「署名すれば、すべて終わる」
「争えば、もっと悪くなるかもしれない」
という恐怖もありました。

この時点で、相談者は、
辞任届に署名する寸前まで追い込まれていました。


4 初回相談 ―「まだ何も終わっていません」

当事務所への相談は、辞任届提出期限とされた当日の午前中でした。

資料を確認したところ、次の点が明らかでした。

  • 株主総会は一切開催されていない
  • 解任決議は存在しない
  • 辞任届は未提出
  • 任期はまだ三年以上残っている
  • 役員報酬は株主総会決議により定められている

すなわち、
法的には、取締役としての地位は何一つ失われていない状態でした。

相談者に対しては、次の点を明確に説明しました。

  • 辞任届を出せば、争点の大半は失われる
  • 今は会社側の方が法的に不安定な立場にある
  • 「今日決めろ」という圧力に従う必要はない

5 対応方針 ― 正面衝突ではなく包囲

本件では、感情的に「撤回」や「復職」を叫ぶことはしませんでした。

対応方針は、次の三点です。

(1)辞任届は提出しない

まず、辞任届には一切署名しないことを明確にしました。

(2)金銭請求を先行させる

会社側に対し、

  • 残存任期の役員報酬相当額の損害賠償請求
  • 既に支給停止された役員報酬の未払請求
  • 役員退職慰労金請求の可能性

を、法的根拠とともに整理しました。

(3)解任構成は「会社の選択」に委ねる

解任をするなら、
株主総会を開き、正当な理由を示せ
という構図を作り、会社側に負担を押し戻しました。


残存任期の役員報酬相当額の損害賠償の請求を先行させる場合の進め方は、次のページでご案内しています。

6 会社側の動揺 ―「そんな話は聞いていない」

弁護士名義で通知書を送付したところ、会社側は明らかに混乱しました。

  • 顧問弁護士が事前に十分な説明をしていなかった
  • オーナー会長は「辞任で終わる」と思い込んでいた
  • 株主総会を開く準備も理由整理もできていなかった

結果として、
会社側は「一度話し合いたい」と姿勢を変えました。


7 解決 ― 撤回はしないが、金銭では全面譲歩

最終的な合意内容は、次のとおりです。

  • 辞任という形式は維持
  • 未払役員報酬を全額支払
  • 残存任期の役員報酬相当額の相当部分を損害賠償として支払
  • 役員退職慰労金を一定額支払
  • 相互に不利な発言を行わない

会社側は、
「復職は避けたいが、これ以上争うリスクは取れない」
という判断に至りました。


8 本件が示す実務的現実

  • 辞任届は「合法的に切るための道具」として使われる
  • 時間制限は、法的根拠ではなく心理操作である
  • 金銭請求を正面から構成すると、力関係は逆転する
  • 初動で署名しないことが、結果の九割を決める

この事例は、
「もう終わった」と思わされた時点が、実は一番有利な局面である
という、役員の不当な解任案件の実務的本質を示しています。

この記事の位置付け

辞任届を書かせたうえで全てを断とうとした会社に対する解決事例のメインのページです。本ページは、役員の解任をめぐるトラブルとして主導権を奪い返した案件の経過をご覧いただきます。撤回の可否は別のページをご参照ください。

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執筆者

弁護士法人M&A総合法律事務所 代表弁護士 土屋勝裕(東京弁護士会所属 登録番号26775)

長島・大野・常松法律事務所に在籍した後、慶應義塾大学ビジネス・スクール及びペンシルベニア大学ウォートン校に留学し、ファイナンス理論並びにM&A及び不動産を専攻しました。不動産投資信託(J-REIT)の上場案件に関与し、2024年(令和6年)10月には最高裁判所において株式買取請求権に関する逆転判決を得ました。現在は弁護士法人M&A総合法律事務所の代表弁護士を務めています。

主として取り扱う分野 M&A、株式買取請求権、非上場株式の価格の決定、企業価値評価、事業承継及び企業法務

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本記事の記載は一般的な法律情報であり、個別の事案に関する法律上の助言ではありません。記載した経歴は事実の記述であり、個別の事件の結果を保証するものではありません。

著書

非上場会社における少数株主対策の手法と実務
『非上場会社における少数株主対策の手法と実務』(日本法令)
中堅・中小企業のためのM&Aトラブル事例と実務対策
『中堅・中小企業のためのM&Aトラブル事例と実務対策』(清文社)
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